移住と病気と恋愛と婚活2

きんときまめのひとりごと
きんときまめのひとりごと移住生活
この記事は約8分で読めます。

今回は闘病中の恋愛事情とその間の私の心情のお話。
(旦那とのなれそめも書きます✨)

移住あんまり関係ないので興味ない方はスルーで(笑)
ちょっと小説チックになっちゃった💦

病気と恋愛

熊本に移住してきていきなり【がん】宣告されてしまった💦

※病気発覚の経緯はこちら→★病気発覚~治療方針★

 

 

前にも書いたのだけど、
がんですって宣告された時よりも

精密検査をして結果がわかるまでの
1週間の方が精神的に辛かった。

 

本当に鬱になりかかった。

 

最初の恋愛

がんって宣告された時、
ちょうど出会った元カレ(K君とします)と

お付き合いすることになりそう・・・というタイミングだった。

 

でも。私がんだよ。
そんな人とお付き合いしたところで

迷惑かけるだけだから、
お断りしようとこの時は思っていた。

 

 

主治医にも
【あーあ。お見合いでいい感じの人ができたんだけど

お断りしなきゃなー】
なんて言ったのを覚えている。

 

 

そしたら主治医は
【そんないきなりあきらめる必要はないんじゃない。

それでもまめさんの事いいと思ってくれるかもよ】
って励ましてはくれた。

 

 

まぁ。でも。
とにかくお断りはしようと思っていた。

好きになりかかっていた時だったけど
まだ傷は浅い。

 

 

次のデートで案の定K君から
【お付き合いしてほしい】
と言われた。

もちろんお見合いで知り合っているので結婚前提で。

 

 

私は勇気を出して自分の病気の事を告白した。
K君は固まってた。
言葉が出ない感じ。

 

それに。K君は子供が欲しいらしい。
これから抗がん剤治療する私。
抗がん剤治療すると妊孕性が落ちる。
さらに私の年齢を考えるともう子供ができないかもしれない。
そんな話もきちんとした。
K君の答えも聞かずまま、
【もう会わない方がいいと思う】
と一方的に終わりにした。

 

 

答えを聞いちゃうと、立ち直れなくなる気がしたから。
自分で幕を下ろした方が楽だったからね。

 

 

その日は九州自動車道を泣きながら運転して帰った。

 

 

翌日、お見合いダメになりましたと、
K君の方から先にお仲人さんに連絡があったらしく、
お仲人さんも何があったの?とびっくり。

 

そりゃそうだ。
あんなに今までうまくいっている

報告をしていきなりこれ。

 

 

本当はあまり自分の病気の事は
ほかの人に話したくはなかったのだが、

これから先お仲人さんに隠して婚活もできないので
ことの経緯を正直に話した。

 

 

お仲人さん、看護師さんの経験があるらしく
意外とあまり驚かなかった(笑)

 

 

とにかく
【本当はお付き合いしたいと思ったのだけど

好きな人に迷惑はかけられない・・・】
とお仲人さんには伝えました。

 

お仲人さんいい人で
【わかりました。貴女の真意はK君に伝えますね。

これから治療で大変だと思う。
困ったことがあったらお手伝いするから

遠慮なく言ってね】
と。

その夜、なんとK君から
【俺でよければ力になりたい。まめを支えたい。連絡下さい】
とLINEが入っていた。
すぐ折り返し電話をして色々話をした。
元気になったら一緒に農作業したい。。
色々楽しく過ごしていきたい。

本当に色々話をした。

 

 

この日から私たちはお付き合いをすることに。

 

 

これから辛い闘病生活に入るけど、
K君が支えてくれるなら・・・
早く元気にならなければ、
絶対治さなければと決意しました。

(ワンコ4匹という扶養家族もいたし)

 

 

 

とはいえ妊孕性が落ちてしまい子供ができなくなるかもしれない。

ちょうど病院から
抗がん剤治療のせいで妊孕性が落ちてしまう患者さんのために
卵子凍結保存を病院がやっているという話を聞いたので
私は自分の卵子を凍結保存することにした。

 

 

好きな人が望むなら、
その人の願いを叶えてあげられる可能性を
残したい。
そんな気持ちでした。

※採卵と凍結保存は保険がきかないので10割負担です(;’∀’)

 

 

あ。ちなみに今も卵子は凍結保存しています。
今の旦那と使うかどうかは・・
今タイミング見計らい中です(笑)

 

 

抗がん剤治療が始まったころ、
K君のお仕事も繁忙期を迎え
なかなか会うことはできませんでしたが、
それでも毎日毎日LINEをくれました。

 

 

ちょうど抗がん剤で脱毛してしまい、
アピアランスが変わってしまう自分の姿で
会うのは嫌だったし(おんなごころ(笑))
体調が悪い日も多くあったので、
会える日が少ないのは別に苦になりませんでした。

 

 

毎日くれるLINE。そしてたまにする長電話。
それだけで十分だったのです。
秋になれば抗がん剤も終わるし、
K君の仕事も落ち着く。
その時沢山会えばいいなーと思っていました。

 

 

でも抗がん剤治療も終わり、いよいよ入院となる頃
毎日のLINEがなくなってきた。。

 

 

毎日来てたLINEが2日おきになり、1週間おきになり。
それでもK君を信じたかった。
ここまで支えてくれたことを信じたかった。
 

 

 

LINEが来なくなったことを
【きっとお仕事忙しいんだよね】
と自分に言い訳して。

 

 

手術当日になっても連絡は来ませんでした。
それどころか今度は既読スルー。
【手術頑張ってね】
こんな一言が送られてくるのを楽しみにしていたのに。

 

 

退院しても連絡は来ず。
終わりにしようにも連絡が取れない。

 

 

お仲人さんにも報告&相談。
お仲人さんもK君と連絡が取れないらしく
どうしたもんかと。

 

 

あぁ。やっぱりこんな大病している私なんて
嫌だったんだ。
だったら最初から支えるなんて言わないで欲しかった。

 

 

周りの人もそんな人もう忘れて新しく進んだ方がいいというけど
でも、がんをり患している私の事なんて
誰が相手にしてくれるんだろう。

 

 

もう結婚はおろか、恋愛すらできないんだろうか??
がんになんてかかりたくなかった。
病気が憎い。がんが憎い。

 

 

婚活でただでさえ年齢でハンディがあるのに
さらに病気かよ??みたいな。

 

 

せっかく好きな熊本に来てこれから新しいスタートを
始める予定だったのに、最初からいきなりつまずいて。
神奈川に帰ろうと思った。
あれだけ好きで好きでたまらなかった熊本・・
一瞬嫌いになりかかった。

 

 

この時は何もかもが自暴自棄になっていた。
周りの人もすぐわかるほど情緒不安定にもなっていた。

 

で結局どうしたかというと。
最終的にお仲人さんの協力のもと
K君と話す機会ができたので
話して終わりにしました。

 

 

最初は純粋に支えたいと思っていたそうですが、
抗がん剤治療でぼろぼろになっている私を見て
【俺には無理】と思ったそうです。

 

それにしても。
今だから恨みつらみを吐き出させていただくが、
それならそれで、音信不通などにせず
はっきり言って欲しかった。

 

 

別に病気が原因で振られるのはもはや
しょうがないと思っていましたし、
それで去るK君を責めるつもりは全くありません。
病気の人を支えるのって家族ですら
しんどいこともあると思うから。

 

 

でも。音信不通って一番傷つく事です。
いきなりされた方は、何が起こったのかパニックになります。
これを読んでいるそこの男子!!
だめ、絶対【音信不通】!!

 

 

最後にお別れの話をしたのは
音信不通になってから

3ヶ月後の事でした。

 

すぐに気持ちを切り替えて終わりにすれば
よかったのだけど、
すべての治療が終わるまで残り3ヶ月、
病気以外の事で動揺し精神的に参ることで
治療を受ける気力をなくしてしまうのが怖かったから。

 

 

だから。自分の気持ちを整理して
覚悟するのに3ヶ月ひっぱった。

 

 

 

がん治療(特に抗がん剤)って本当に
精神的になるべく平常を保つことができないと
途中でへこたれてしまいます。

 

 

 

ただ、抗がん剤治療中は
本当にK君に心の支えになってもらっていたし
そのおかげで滞りなく予定通り抗がん剤治療を
終えることができました。
その点では感謝しています。
(ただ、お仲人さんはK君には激おこぷんぷんです(笑))

 

 

今私は結婚もして幸せに暮らしているので
K君にも是非これから先幸せになってほしいと思えるようになりました。
そしてやっぱり熊本は大好きです♡

 

 

あの時は、【私を捨てた事、後悔させてやるーー】
本気で思っていた(笑)

 

 

単純に、K君とは【縁がなかった】だけのことなんだな。

 

 

そんなこんなで、この後旦那と出会います(笑)

 

意外と長くなってしまったので、旦那との出会いは
続きで書きますね。

 

ブログ村に参加しています。
下記アイコンを1クリックして応援していただけるとひじょーにありがたいですー

にほんブログ村 地域生活(街) その他ブログ 国内移住へにほんブログ村 にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログへにほんブログ村

タイトルとURLをコピーしました